私が一番長くやっている仕事は、ピアニスト。
といってもクラシックではなく、ポピュラー音楽。
様々なアーティストの後ろでひっそりと(?)ピアノを弾いたり、アーティストのレコーディングに参加したり、はたまた楽曲のアレンジをしたり譜面を作成したりなど、一言でピアニスト、ミュージシャン、音楽家、と言っても、業務内容は皆さんが想像するよりも遥かに多岐に渡り、そして、とても地味なのです。
とにかく、一人でコツコツと延々と黙々と何かをやることが多い。
ステージの上でスポットライトを浴びながら、お客さんに向かって派手なパフォーマンスをしたりしている時間は、全ての業務のうち、ほんのわずか数パーセント程度のものなのです。
そんな地味な仕事の中で、一番気をつけていること、それが今回のタイトルの「べき」から解放されるべき、です。
どういうことかというと、特にアレンジしてる時に多いかもしれません。
シンガーと何度も打ち合わせをして、その楽曲のアレンジがある程度作り上がった頃にシンガー共々気づいてしまうことがあります。
「ここまで作っちゃったけど、違う方が良いかも。。。。」
迫り来る締め切り、これをひっくり返すことにより起こりうるであろうそこに関わる人たちみんなへの迷惑、その他諸々考えると、もうこのまま突っ走った方が万事上手くいく事はわかっている。
しかーし!!
しかし、なんですよ。
何年か後にこれを振り返った時、未来の自分は今の自分のこの妥協をどう捉えるか?ということなんですよ。
ということでそこからは、時間との戦い、関係者への説得、全て同時進行で進みながら、今まで作り上げたものを一旦更地にしてやり直すのです。
これは過去に何度かやっているのだけど、やった事を後悔したことは一度もない。
もしあの時、妥協を選んでやり直ししなかったとしたら、間違いなく後悔していると思います。
この思考回路が、表題の「べきから解放されるべき」に唾がります。
どういうことかというと、我々は毎日繰り返される日常生活や社会生活の中において、一連の物事を自分たちである種のパターン化をさせ、それに従っていく傾向がある。
先ほどの例と同じような形で例えるとしたならば、会社の新しいプロジェクトのリーダーになったとして、プレゼンの日に向けてチームで計画を練り、資料を作成しているとしよう。
しかし、プレゼンの日程もかなり近くなってきたある日、もっといいどころか最高のアイデアが浮かんでしまう。
絶対間違いなくこっちの方がいい。というか、これがベストアイデアだ。
内容も素晴らしいし、結果的に得られる収益も上がる。会社にとっても最高だ。
この2つのアイデアの差は、誰が見ても歴然とした違いがあることがわかる。
そのくらい、新しいアイデアは素晴らしい。
しかし、これをまとめて資料を作り直すとしたらプレゼンの日には絶対に間に合わない。
日程を変更してもらわないといけない。
そこに向けて一緒に頑張ってきたチームにも説明して、再び協力してもらわないといけない。
さて、どうしますか?
ということです。
一度頭に浮かんだその最高のアイデアがある限り、今のアイデアは2番手以下になります。
その状態で、その最高のアイデアを自分の心の中にしまいこんで無かったとこにして、予定どりの日程でプレゼンを行うのか、それとも関係各所を説得して日程変更をお願いする、またはチームを説得して全員で一丸となってその日に間に合わせるように資料を作り直すのか。
ここで背中を押してくれるのが、「べき」から解放されよう!!だと私は考えています。
固定観念からの解放、ということです。
みんなに迷惑がかかるから、予定通りにす「べき」
せっかくここまでやったんだから、このまま進む「べき」
会社員の場合は、社会性とのバランスも大事だとは思いますが、音楽は芸術なので、ここは徹底的に「べき」からの解放コースを選びます。音楽の場合は、周りにどうのというよりも、自分に対して、という方が考慮の割合としては多いです。